現実認識

finalvent氏の日記の "ブログのハズシは有意義だと思うよ" の正しい現実認識って言葉に反応して連想したことをつらつらと。ツッコミとかは全然無し。
根っこから整理してみるので…今さらって話になる。素通り推奨。

政治や社会問題、組織や集団の在り方などについて何か述べるとき、相手に伝えたいこと、認識して欲しいことのうちには現実と理想という二つの要素があって、ものによってそれぞれの二つの間の釣り合いが違う。
現実より理想の方へ傾き過ぎると、

  • 「そりゃ誰だってそうなって欲しいけど、それは無理だろ」
  • 「で、それを誰がやるんだよ」

あるいは

  • 「それを誰が望んでる? 望んでるのってあなただけじゃないの?」
  • 「誰も本当はそんなこと望んでないんだよ。口でそう言ってるだけ。みんな自分のことを良く分かってないんだ」

とか、そんなことを言われる。
理想よりも現実の方へ傾きすぎると、

  • 「へー、そうなんだ。で?」
  • 「あなたはどうしたいの?」
  • 「じゃ、どうすればいいの?」
  • 「あなたはそれでいいと思ってるの?」
  • 「だからそれを変えなければいけないんでしょう!」

などと言われる。
さらに現実が余りにも酷いと、

  • 「そんなの間違ってる! 絶対間違ってるよ!!」
  • 「最悪」
  • 「汚れてる」
  • 「腐ってる」
  • 「もう存在しないほうがいいよ…!」

と、そんな方向へ行ったりもする。
ま、これはそれぞれ極端な場合で、実際には多くが両方の要素が絡み合って綺麗には分けることのできない complexをなしてる。
どこまでが現実でどこからが願望なのか。本当にそうなの? そうあって欲しいだけじゃない?
変わり難いことを変えようと思うのなら、できるだけ正確に現実を認識して、変えることのできるものと変えるべきものの重なっているところから順番を決め一つずつ選んで一つずつ変えていかないと。
言葉だけでできるのは、変えることのできるものを共有するために現実を伝えること、変えるべきものを共有するために理想を伝えること。共有したいという気持ちが無いのなら語ることは意味をなさない。頭の中で考えるだけでいい。
何が共有できて何が共有できないのか。
共有できない理想は、極論を言えば人それぞれの好みの問題なので語るべき事もなくなっていく。
では、現実認識は?
共有できなかった現実認識は、どちらが正しかったのか。そしてはずれた方はなぜそう認識したのか。そこからフィードバックしてこれからに活かせるならそれはいいことだよね。
でも、失敗をさらすのは辛いんだよねー。勝率が低いと特にねー…。間違うことを恐れていると、言えることがどんどん少なく愛昧になっていったり。勝率の高い方々が、負けも含めて現実の認識方法を晒してくれるならそれは有り難いことです。
あと、id:finalvent:20050815 の comment欄、id:synonymous氏の、

順調に間違い続けていけば(略

が、ちょっとしみましたね。
今までを振り返るとあまり順調とは言えないけど、これから順調にやってけるよう心掛けよう。
心掛けってなんかちょっと陳腐だな。