危機感と現実認識

確かにとても分かりやすく面白い話です。でも、分かりやすすぎる話には落し穴があったりするので気をつけなければいけないんですが…私は既に落っこちてたり?

少しひっかかりを感じたのは危機感という言葉。危機感は重要だけれど、その前提としてその危機感がどの程度妥当なものであるかということは当然問われなくてはいけない。

ネガティブ思考ということをおっしゃてるんですが、逆のネガティブ思考ってのもありますよね。ネガティブ改革主義とでも呼べばいいのかな。

「これぐらいのセキュリティ対策じゃ全然安心できませんよ…! この程度は最低限レベルです。まだセキュリティホールは存在するはずです。このままだといずれ侵入されますよ。重要なアナウンスを見逃さないよう目を配り、セキュリティホールを塞ぐ作業を行い、その変更に伴って発生するエラーに対応し、システムを支障無く動かし続けるにはさらなる人員と予算が必要です!」

と、いうようなことを際限なく言い続ける人がいるとすればそれはそれで問題ですよね? これは極端な例ですし、エンジニアから見ればそんな人はあまりいないかも知れません。際限なくなんてことはない、単に水準に達していないから言ってるのだ、と。まあ、ネガティブ保守主義よりは変えようという意志があるだけマシな気はします。

郵政民営化問題にしても、小泉氏やその周りの方々は「郵政民営化そのものは本当はたいした問題じゃない」と認識しつつも、他の所に目的があってその一手段として最優先の位置へ掲げ解散まで行った、という捉え方があります。しかし、本気で「郵政民営化を今すぐ急いで行わなければ財政が崩壊する! 日本はお終いだ!」と考えているとしたらどうなんでしょう?

軍事についても似たような要素があると思います。仮想敵国の拡大などは、単に予算獲得のための建前という場合もあるでしょうが、ネガティブ改革主義思考で「本当にやつらは危険なんだ!」と考えている場合も少なくない気がします。前entryで少し述べたような現実と願望の混同が起こる場合、普通本人は自覚できません。その人にとっては本当に世界がそのように見えるのです。
大量破壊兵器の存在はどうでしょう? ネガティブになり危機感を持ちすぎればどういうことが起こるのでしょうか?

保守的思考、ネガティヴ思考は過ぎれば現実認識を大いに歪ませます。しかし、危機感とかネガティヴであるかどうかという見方よりは、その認識が現実とどれだけ合致してるのか、という見方をした方がいいような気がします。

重要なのは、どういった事態がどの程度の確率で起こり得るのか、そのリスクをできるだけ正確に認識し「リスクをこの程度軽減するのにはこの程度までのコスト、それ以上はパフォーマンスが低いから駄目、それで予測されていたトラブルが起きてもそれは賭けに負けただけのこと、運が無かったのだ。」それが経営やあるいは政治といったマネージメントの判断なんだと思います。そして運が無かったことを自分の無能として責任を負えるのが経営者や政治家であると。

もちろん、現実認識が間違っていた、リスクとコストのトレードオフを間違ったというのなら話は別ですし、現実にはそのケースが多いのだと思います。経営者と現場の認識の差についても、現場から見えるものが経営側にも見えているケースより、経営側から見えるものが現場からも見えているケースが多いのかもしれません。しかし、自分に見えるものは本当に現実と合致しているのか、相手が見ているものは本当に現実と合致していないのか、何か見えていないものはないのか、そういったことに気を配るのが正しい判断に繋がるのだと思います。

追記

13Hzさんの comment欄にて、そんな輩には「保守」なんて勿体ない、「ほったらかし派」がいい、というお話が。んー、そうですよね。積極的、能動的に保守する人達と一緒くたにしない方がいいよなあ。

さらに追記

13Hzさんの entryに対して書かれた swan_slab氏の entry、"どうでもいいけど、これさぁ" 。
すげ…。駄目だ頭に入ってこない。後でもう一度読み直そう。

さらにさらに追記

参考に。


(略)相手が非合理的なのではなく、別の合理性を根拠にしていると考えて、レベルの違う合理性同士の対決であると見ると、頭が整理されてきます。

私が最後に述べた「経営者と現場の認識の差」と同じようなことを、同じネタからの流れで id:essaさんがおっしゃってた。