時間の経過と貧困への関心

http://hottokenai.jp/
こういった活動の背景について豊かな知識がある人は別にして、このキャンペーンに批判的な人の中には whiteband projectそのものよりも「ほっとけない」っていう言葉がカチンときた人はいるんじゃないんだろうか? っと言うか私は初めて知ったとき「ええーなにそのネーミングー」と思いましたよ。
だって、普段ほっといてるでしょ?
少なくとも私はほっといてる状態でした。まあ、今だって何をやってるってわけじゃないんですけど。
そして、一時の盛り上がりを過ぎれば、一部の人を除いてほとんどがまたもとの「ほっとく状態」に戻るんじゃないか。私にしても、今後どれだけ時間と力を割けるのか、と考えれば、ほっとき続けることに変わりはないのだろうと思う。そういうことを感じとってしまう人達はそのことに憤りをおぼえるんですよね。

私は一年後、二年後にどれだけ関心を持ち続けていられるのか。時間を割けるのか。whitebandを持っていれば何もないよりはずっとマシだろうな、と、そう思ったことも購入の動機のひとつです。そういう意味では、糸や包帯じゃちょっと弱い気がした。面倒くさくなってつけなくなるんじゃないか、とか。もちろん、私のように日々に埋もれて頭にのぼらなくなる人達ばかりじゃないと思います。常に関心を持ち知識を更新し続けて実際に現地の変化に繋がるような行動まで行えるような方々には whitebandなんて必要ないんですよね。でも、そうでない人が多いわけで、そういう人達に「ちょっと力を貸してくれよ」ということですよね? その力がほんとに良い変化を現地にもたらせるかどうかが怪しいわけですが。

whiteband projectに批判的な人達も、projectが話題になったことで以前から蓄えてきた知識や考え方、projectの何が問題で何が足りないのか、といったことを知らない人達に伝える機会を得たわけです。それ自体はいいことですよね。project自体が無能で偽善的だったとしても、有意義な波紋を引き起こすことはできた、と。それだけでもプラスなんじゃないかと思うんです。…が、いや、駄目ですね。そういうところで満足するからいけないのか。波紋が力になって貧困地域まで届かないと意味がない。もっと現実の改善に貪欲であれ、と。