Adam Smith と fair trade


経済学の創始者であるアダム・スミスは『国富論』の中で、個人や企業が私欲に基づいて行動しても、市場においては「神の見えざる手」が働いて公益上望ましい結果になると述べたが、この理論には、個人や企業が情報を共有し公平な立場にある、という前提条件がある


「山形浩生のフェアトレード論ってどうよ」を読んで考えたことについて。まずはそちらでされてた引用の孫引きが以下。


経済学の創始者であるアダム・スミスは『国富論』の中で、個人や企業が私欲に基づいて行動しても、市場においては「神の見えざる手」が働いて公益上望ましい結果になると述べたが、この理論には、個人や企業が情報を共有し公平な立場にある、という前提条件がある
*1

おお…。アダム・スミスってそんなこと言ってたっけか。国富論なんて読んだことないです。すみませんすみません。古典を軽視しているつもりはないんです。読みたいです。そのうちに*2

"情報を共有し公平な立場"か…。私が『「フェアトレード」という言葉』で述べたのは、「共有するしない以前の機会の不平等」の上での取り引きは fairじゃないってことだった。機会が*3与えられた上での不平等は fairな競争の上での結果だ、そういう解釈。もちろん、これは極限まで単純化した場合の話。現実はそんな単純じゃないってことは一応分かってる。力を持つものが力を持ち続けやすいようできてるのが資本主義だし。

で、じゃあ、その差は何? 上の引用では公益上望ましい結果になることを重視しているように読めたが、私はそもそも市場にそこまで期待をしていないんだよね。もちろん、そうなってくれればいいとは思ってるけど、なんか遠い夢の国の話のようで、それよりも、もっともっと下の部分での unfairがあるような気がするから。


フェアトレードの「フェア」と公正取引委員会の「公正」が同じ概念であるわけではない。

私は、公正取引委員会の方に近い意味で fairを使ってたってことだね。今後は…よくわからない。繰り返し言うけれど、私にとっては、これはフェアトレードの在り方の問題ではなく、「フェア」という言葉の使い方の問題。くだらんとか言わないで下さい言わないで下さいお願いしまうs。

あと comment欄で、


googleフェアトレードを検索し、そのお店で販売されてる商品を見ると、
100%純粋に中間搾取業者が、宣伝の為に(フェアトレード)と付けてる
だけだもん。

これは私も少し感じてた。100%純粋にとまでは流石に思わないけど…。本当は、会計が分かり現地や国際市場の背景知識のある人がお金の流れを追ってみればいいんだろうけど。自分がそうなりゃいいんだろうけど。私は googleで検索してひとつひとつ確かめてみることさえしない。

…。

私も求む面白い情報。

*1:引用の仕方を完全に間違ってました!! 知らなかったとかじゃなく、単なるうっかりです。大失敗。本当に申し訳ありません。

*2:先送り。

*3:ある程度(機会だって完全に公平とか言い出したらそんなもの有り得ない気がするし、論じても意味がない気がする。)