「私を説得してみせてくれ」

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20050818#c について書いた前回の entry 「それぞれの知の枠」に対して、jouno氏より、
note of vermilion - りんり淋漓と天上大風

お返事ありがとうございます。私が想像した以上の文章量で嬉しい驚きでした。私がしたのはあんな簡単な言及だったので、ここまで書いていただけるとは思いませんでした。

…うーむ。やはりさらっと流し読み程度の安易な解釈ではいけませんでしたね。michiaki氏のところの comment欄ももう一度読み直して来ました。

このことについて jounoさんとの間でやりとりするのは、michiakiさんを観察対象にしてしまうような形になり失礼かとは思いますが、あえてそのまま考え、述べさせてもらいたいと思います。

まず第一に、私が関心を持ち、前 entryで述べたのは jounoさんと michiakiさんの話している内容というよりは、その communicationの状態です。


ぼくとしては単純に言葉の定義の違いだけの問題とは考えていません。

jounoさんが言葉の定義の違い以外に問題があると考え、それを議題にしたかったのはわかります。しかし、あのやりとりではその段階まで到ってないのではないでしょうか? それは何故かと言えば、jounoさんの使う言葉の概念、定義や使用法を michiakiさんは受け入れなかったからです。それを clearしないとその先へは進めませんし、実際あの comment欄ではその段階で話が終わっているように見えます。前回の entryで私はこのことを指摘し確認したかったのです。

communicationの点についてはとりあえずここまでで。次に jounoさんの指摘する問題について。


ぼくは、倫理を除きます、という文言というよりは、寄せられた回答に対する態度からして、この「だからといってなぜそうしなければならないのか」と原理的には常に問い返しうる、ということへの軽視あるいは無視がある、と考えたわけです。

これはちょっと考えさせられました。考えてみれば確かにそれはありますね。しかし、私はそれを意識しませんでした。なぜだろう…? 私が意識しなかった理由…。


で、もしも質問が、そういう現実的な他者を説得する論理を問う、ということなら、そもそも、普遍的な答えなんかないし、答えの間に優劣もないわけです。現実的な他者であるあのひとやこのひとは、なぜかどれかの答えで納得してしまうわけです。だから、原理的な問いではなく、現実的なカウンセリング的な問いなら、ケースバイケース、相手を見て理屈を考えるしかないんで、誰にも当てはまる、あるいは誰でも説得できるような一般的答えを求めるのはナンセンスです。

普遍的な答えなんかないし、答えの間に優劣もないということは michiaki氏もかなり強く思っておられると思います。そして次が重要なのですが、michiaki氏は誰にも当てはまる、あるいは誰でも説得できるような一般的答えを求めてはおられないと思うんです。いや、求めてはいるが、得られるとは思っていない。期待していないということです。では、何を期待したのか?

michiaki氏の説得です。つまり、誰でも説得できるようなものでなくてもいい。私を説得してみせてくれ、そういうことだと思うのです。

そうすると、


原理的には常に問い返しうる、ということへの軽視あるいは無視がある
のも、私にとっては意識する必要もないほど当然のことでした。なぜならば、michiaki氏が問い返しさえしなければ良いのだから。そして、それを御本人が質問時すでに自覚しておられたと、そう私は感じていたのです。


詭弁で構いません。

このセリフがそれらのことを表していると思います。詭弁というのは、正しくないということ、しかし、目の前の相手への説得力はあるということ。つまり、正しくなくていい、私への説得力があればそれでいいんだ、そういうことじゃないでしょうか?


で、原理的な問い、つまり、もはや「だから、そうだったとしたらなぜ駄目なんですか」と問い返すことが決してできない、必然的に説得させる論理を求めるのであれば、です。まあ、そうではなかったようなので、これは余談ともいえますが、しかし普通はこういうふうに文脈を読んでしまうことは避けられないと思うのだけれども、その場合、どこかで、無条件に「そうでなければならない」という話にならないと終わらない。そして、この突き当たる場所を倫理と呼ぶわけです。別にほかの言葉でもいいのですが。

ですね。その通りだと思います。重要なのは、最初から michiaki氏の倫理が基準だったということですね。michiaki氏は質問時にその基準の中身についてはもちろん、基準が自分だということ自体、言及してはいません。「不可能な気はするができれば普遍性のあるものが欲しい」のですから、わざわざ自分から限定したりしないのは自然なことでしょう。しかし、そのことは、michiaki氏の commentをひとつひとつ読んでいけば、ある程度は見えて来ます。それは michiaki氏が最初から想定していた状態でしょう。

そして、jounoさんが倫理と呼ぶものを michiakiさんは倫理と呼ばないわけです。 最後にもう一度同じ事を述べると、あの comment欄でのやりとりはその言葉の段階で終わっており、ここまでで述べたようなことを議論するところまで到ってなかったと私は思うわけです。

あと、事の始まりの質問に関してですが、私は質問が閉じられてから纏めて読んだので、michiaki氏の意図、心理に対して私が感じた事柄は後出しジャンケン的なものであると思います。質問途中でこれだけ感じ取ることができたかは自分でもわかりません。最初の解答の方でしたらまず無理でしょう。そして、それらはあくまでも私が感じたことであり、それらが事実を言い当てているのかどうかは御本人にしかわかりません。
そもそも他者の心を推測し、それを第三者に語るなど、礼を失すること甚だしいのですが…。御本人にお尋ねしたところ、了解を得ることができたので公開することにしました。しかし、上記の内容についての確認はしていませんし、当否を御本人にお尋ねすることも控えてほしいと思います。あくまでも、こういう感じ方をしている者もいるのだ、ということで御了承下さい。私が感じたことに対する質問であれば私が答えますので、どうぞ御気軽に。