美の魅力

初めまして LEOatさん!ということでいきなりですが書きます。拝見していてちょいひっかかったとこありましたので。


結局は「化粧をしないといられない」人が、「化粧をしないでもいられる」人に対してやっかんでるって事でしょ。化粧をしている人はしてない人に比べて、確実に人生の内の何割かを損してるわけだから。

これ。
損してるんですか?
って言うか、損かどうかっておもいっきり価値観に依存しません?
私は化粧をするかどうかってのもトレードオフだと思うんですよ。つまり、化粧をしている人ってのは、「化粧をしないことで失うもの」と「化粧をしないことで得られるもの」を秤に掛けて、失うものの方が大きいと感じるから化粧するわけですよね。それは言い換えれば、化粧をすることで何かを得てるってことですよ。少なくとも、本人にとって価値あるものを。それが、「本来、化粧なんかしなくても得られるべきもの」だったりするからこれだけ話題になるんでしょうけど、化粧しない人はそれを得るという選択枝を自ら放棄してるわけです。それだって見る人から見れば損だったりしませんか?

やっかみはある場合は多いでしょうね。それは多分、「化粧をしないでもいられる」人が、化粧をしないことで失う何かを補うだけのものを他で得ているからなんだと思います。


だからこそ「化粧をしない人がいる」っていうのは、「化粧をしたって大した利益は得られない」って指摘されるのと同じような事で、化粧によって時間を浪費してる人にとっては一番腹が立つんじゃない、きっと。

これもその通りだと思います。ただ浪費してるって言葉がひっかかりますけど。上と同じ理由で。

自分が価値をおいているものに価値をおかない人がいれば、それだけで腹が立つ原因になりえます。ましてや、人生の内の何割かを損してるとか、時間を浪費してるなんて言われればカチンときます。これについては、今回の化粧のことに限らず多くのことに言えます。他人の blogを読み自分の blogを書くことに毎日一時間費やすことだって、人生の内の何割かを損してる時間を浪費してるって言う人は世間には多いと思います。バカにする人もいたりします。カチーンです。

化粧をしないことで無言の圧力を受けるようなことは無くなればいいと思います。けれど、私は化粧を全否定はしません。上手い化粧であればその分綺麗になってると私は感じますし、その美に魅力を感じてしまいます。個人的なことを言えば、容姿に全く魅力を感じなくなりたいと思っていた頃が私にはありました。しかし、他の多くの感情と同様で、他の何かで抑圧することはできても、湧き上がること自体を防ぐのは容易ではありません。魅力を感じたくなくても感じてしまうのです。

化粧による変化に魅力を感じる人、感じない人、価値をおく人、おかない人、お互い尊重できればいいんですけどねー。