「いまどう思ってるんだよ!」


と思いました。

というのは便利な書き方だけれども、で、いまどう思ってるんだよ!

と、はげしく突っ込みたくなるのはいかんともしがたい。

これは私のことなのでしょうか? > id:jounoさん。

参考 「私を説得してみせてくれ」

…それとも私お得意の被害妄想だろうか。私はムラビト・スキルも持ち合わせているので、字面どおりに読むだけでなく、行間から色々と妄想してしまうのだけれど。

いや、私が自分で「私のことかも」と思ってしまうということは、たとえ私のことを指したのでなくとも、何か省みるべき点が私にあるということ。「あの時どうだったかはいいんだよ。今はどうなのさ?」って突っ込みたくなる場合は私にも当然あるし。上記の私の entryを材料にして考えてみたいと思う。


つまり、説明しにくいのだけれど、印象とか感想のような時制をつけて語る意味のあるものと、判断や意見の場合は違うというような。

…いきなり挫折。わからん…。何が違うんだろう? いや、もちろん「印象」「感想」「判断」「意見」はそれぞれ意味合いが違うし、「印象、感想」「判断、意見」と分類されるのも直観的には共感する。その二組の差は何なんだろう? 根拠があるかないか、ということだろうか? 論理に基づいてるかどうかの違い?

あ、いや待てよ。「印象とか感想のようなものは時制をつけて語る意味のある」「判断や意見は時制をつけて語る意味が無い」という前提があるな。ここが重要な違いというわけだ。

時制…。

  • …だという印象を受けた。
  • …だという感想を持った。

これらには意味があり、

  • …だと判断した。
  • …だという意見を持った。

これらには意味が無い…?

で、また次が良く分からないのだが、時制をつけて語る意味のあるものだからこそ、で、いまどう思ってるんだよ!って突っ込みたくなるということですよね。

  • 「…だという印象を受けた。」「で、いまどう思ってるんだよ!」
  • 「…だという感想を持った。」「で、いまどう思ってるんだよ!」
  • 「…だと判断した。」「ふーん。」
  • 「…だという意見を持った。」「ふーん。」

ん? これ逆の方がしっくり来るか?

時制をつけて語る意味のないものにで、いまどう思ってるんだよ!って突っ込みたくなる?
…こっちの方が合ってる気がする。時制をつけて語る意味のないものに過去時制をつけんなよってことか。


現在はまた自分には違う意見があるかもしれないという余地をほのめかし的に残すことで、微妙に文責を逃れるような使い方

これを無意識にやってる怖れは否定できないですね。でも、現在はまた自分には違う意見があることが重要であると私が判断した場合はかなり気を使って避けているつもりなんですが…。検証してみましょうか。

検証

で、私の上記entryを見て行くと…まず、communicationの部分は問題ないですね。今の自分の判断を述べてます。

次。


考えてみれば確かにそれはありますね。しかし、私はそれを意識しませんでした。

これは問題ありませんね。今は意識していることが文脈から明らかです。


普遍的な答えなんかないし、答えの間に優劣もないということは michiaki氏もかなり強く思っておられると思います。そして次が重要なのですが、michiaki氏は誰にも当てはまる、あるいは誰でも説得できるような一般的答えを求めてはおられないと思うんです。いや、求めてはいるが、得られるとは思っていない。期待していないということです。

ここも問題ありませんね。全て現在時制です。


では、何を期待したのか?

michiaki氏の説得です。つまり、誰でも説得できるようなものでなくてもいい。私を説得してみせてくれ、そういうことだと思うのです。

ここは、期待したは過去時制で、id:michiakiさんの質問時の状態を表していますが、私が主語ではないので問題になりません。その次の思うは現在時制です。


私にとっては意識する必要もないほど当然のことでした。なぜならば、michiaki氏が問い返しさえしなければ良いのだから。そして、それを御本人が質問時すでに自覚しておられたと、そう私は感じていたのです。

当然のことでした。と、そう私は感じていたは、過去時制です。しかし、これは「あの質問と回答を読み終えた時点で既にそうだった」ということを強調するためにそうする必要を感じたからであって、現在はまた自分には違う意見があるかもしれないという余地をほのめかし的に残すことで、微妙に文責を逃れることを目的としたものでは無意識においてもありません。ただ、目的はどうあれ結果的にはそうなってしまってますね。

文脈から「私は今もそうである」と読み取る方が自然だという計算も書いているときに働いていたと思うのですが、もちろんそう読み取られなかったことで読む側が責められるものではありませんし、私の計算が間違っていたとも思いません。そして、話題の流れを考えると「あの質問と回答を読み終えた時点で既にそうだった」ことを示す方が私にとっては重要なので、今後もこの判断は変わらないでしょう。そして、これは rhetoricの問題なのですが、「当然のことでした。今も当然です。」「感じていました。今も感じています。」と書けば議論法としては優れていますが、美しくないので私は用いません。


このセリフがそれらのことを表していると思います。詭弁というのは、正しくないということ、しかし、目の前の相手への説得力はあるということ。つまり、正しくなくていい、私への説得力があればそれでいいんだ、そういうことじゃないでしょうか?
問題ないですね。


ですね。その通りだと思います。重要なのは、最初から michiaki氏の倫理が基準だったということですね。michiaki氏は質問時にその基準の中身についてはもちろん、基準が自分だということ自体、言及してはいません。「不可能な気はするができれば普遍性のあるものが欲しい」のですから、わざわざ自分から限定したりしないのは自然なことでしょう。しかし、そのことは、michiaki氏の commentをひとつひとつ読んでいけば、ある程度は見えて来ます。それは michiaki氏が最初から想定していた状態でしょう。

そして、jounoさんが倫理と呼ぶものを michiakiさんは倫理と呼ばないわけです。 最後にもう一度同じ事を述べると、あの comment欄でのやりとりはその言葉の段階で終わっており、ここまでで述べたようなことを議論するところまで到ってなかったと私は思うわけです。

問題ないですね。


あと、事の始まりの質問に関してですが、私は質問が閉じられてから纏めて読んだので、michiaki氏の意図、心理に対して私が感じた事柄は後出しジャンケン的なものであると思います。質問途中でこれだけ感じ取ることができたかは自分でもわかりません。最初の解答の方でしたらまず無理でしょう。そして、それらはあくまでも私が感じたことであり、それらが事実を言い当てているのかどうかは御本人にしかわかりません。

そもそも他者の心を推測し、それを第三者に語るなど、礼を失すること甚だしいのですが…。御本人にお尋ねしたところ、了解を得ることができたので公開することにしました。しかし、上記の内容についての確認はしていませんし、当否を御本人にお尋ねすることも控えてほしいと思います。あくまでも、こういう感じ方をしている者もいるのだ、ということで御了承下さい。私が感じたことに対する質問であれば私が答えますので、どうぞ御気軽に。

…問題ないですね。私が主語で過去時制であるものを探すと、私が感じたという文が三回出てきますが、これはもう上で述べたことの纏めなので、これに対する私の自分突っ込みも上で述べたことと同様になります。

…ふう。

結果、危ない箇所がありましたが、私の書き方に対する判断を変えるものではありませんでした。ちょっと神経を使って疲れましたが、私にとっては costに見合う performanceが得られた考察だったと思うので満足です。私のことであるにしろないにしろ、有意義な考察のネタを提供して下さった id:jounoさんに感謝します。

こういうやり方、神経質なくらい細かく検証するのも、いわゆるモヒカン族っぽいのかなとふと思った、…と、言い方を変えてまた言及してみるテスト。さて、こちらは流石に otsuneさんも checkしておられないのかな…?