恋愛へのressentiment

  1. 日日ノ日キ - オタクVSサブカル
  2. おれはおまえのパパじゃない - 避モテ
  3. おれはおまえのパパじゃない - 非モテ脱却トレーニング
  4. Rivers and Bridges - ペットへの愛=人間に対する愛!?
  5. おれはおまえのパパじゃない - おれはおまえのパパじゃねえ
  6. Rivers and Bridges - ひとくちに愛っていってもいろんな種類があるわけで , 他
  7. おれはおまえのパパじゃない - モテ・非モテ , 避モテ脱却トレーニング
  8. 絶叫機械+絶望中止 - 非モテニクス理論
  9. Rivers and Bridges - 私のことをお話しします
  10. おれはおまえのパパじゃない - モテ・非モテ話から離れて
  11. 日日ノ日キ - 非モテよりもティモテですよ

今になって気づいたので、ざっと読んでみたのだけれど…

凄いね… energyが。圧倒されて細かくは読み込めなかったけど、感じたところを少し。

「考え方を変えた方がいいよ」なんて言うとき、それを円滑に切り替えられたような人には、複雑に絡まっている人の感じる拒否感がわからないことがある。

ressentimentがガッチリ自分の核に組み込まれているとき、避モテをやめろって言われるのは、「"あなた"であることをやめなさい」と言われるのに等しい。

精神てどこまでが自分でどれぐらい変わったら自分じゃなくなるんだろう…?
以前から考え続けてるんだけど、程度の問題だからハッキリと線は引けない。でもやっぱり自分の中の大きな部分を否定されるのは辛いことなんだよね。

identityの重みをどこか別の部分に移す、"それ"が無くなった私にも価値がある、というところから始めなくてはならない。

注意したいのは、"それ"が無くなった私には価値がある、では駄目だということ。今の私は価値が無いのだと言われれば守りに入る。変えられない。"それ"があろうが無かろうが私には価値がある。そのことを感じられるかどうか。感じさせられるかどうか。

条件無しの愛。

憎しみや怒りを包み込める程の愛が見つかれば、それは素晴らしいことなんだけどね…。