学校での自殺と教育委員会

TVで市教育委員会の記者会見の映像などを何度か見たけど、どれを見ても、やはりというか当然というか、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。

「はぁ? 何言ってんの??」と、まず思ってしまう。

しかし、頭にのぼった血が下がって落ち着いてから考えてみると……ほんとにあれ何言ってんだろう?

どういう流れでああいうこと言ってるんだろうか。どういう質問に対する答えかによって少し意味が変わるかも知れない…と、ふと思った。今回の件については、「いじめがあったか」とか「それはいじめだったのか」とか、そういうこと以前に、「小学六年生があのような内容の遺書を残して自殺した。しかも教室で」という明解な部分だけでもう大変なことだ、というのが私の感覚なので、

 この日、遺書の内容が一部で報道されたことを受けて会見した安西輝恭・市教育長は、「ささいな言葉や行為であっても無視することはできないが、一方でその受け取り方は人によってさまざま。いじめを裏付ける決定的な事実は出てきていない」と述べた。今後、市教委として改めて経緯などについて調査するという。

…とあるような発言には、それ的外れだろってことで怒りさえ感じるのだが……しかし、「いじめがあったか」とか「それはいじめだったのか」とか記者に質問されたのであれば、そう答えざるを得ないかも、と。記者会見の始めから終わりまでを見たわけじゃないからなあ。

しかし……

市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること」と話している。

これ、本当に言ったんだろうか。……何が言いたいんだろう? 「陰湿な」いじめじゃなきゃ死なないよね、だから他に原因が…とか、そういう話じゃないですよね? 結びつくって? 無視そのものは陰湿ないじめの範疇には入らないってことなんでしょうか。まあ、括弧内は記者が加えたわけだし…ってことはないかもね。あと何だって?よくあること? ……だから? よくあることだったらどうだって言いたいんでしょうか。

また揚げ足取りくさくなっちゃってるけど、取られるほど足を揚げてしまう浅はかさな言動に、細部まで目を行き届かせられない、声をあげられない弱者に気づかない、目に見えない部分を想像できない、そういった能力の無さが表れているのだと思う。実際にどう言ったかもわからないし、名前つきで挙げられてるような方達個人個人を責めたいわけじゃない。気になるのは、彼らがそうでなくても、至る所にそういうことを言いそうな人達はいるってこと、そしてそういう人達が教育などといった分野で権限のあるポストに着いてるってのもよくありそうな気がするってこと。気のせい?だったらいいんだけど……。

個人の能力には限界があるし、上の方だと扱う対象が広くなるから水も漏らさずってわけにはいかないのはわかる。しかし、発言があまりに言い訳じみて聞こえると責任あるポストに着くことに対する覚悟を疑ってしまう。不幸な出来事を防げなかったことには仕方のない部分があったりもするけれど、それを自分で言っちゃいけないよ……。

そして、今回、問題になったのが遺書の内容を隠してたってこと。私は最初、隠してた公表しなかったと言われてるもののそれって具体的にどういう状態なんだ?という疑問があってピンと来なかった。そもそも、マスコミが問い合わせてきたりしなかったら、学校や教育委員会は自分からマスコミにFAXでもするべきなんだろうか?とか、自殺した児童がいたということそのものを公表してなかったのかと思った。しかしそうじゃなかった。

 関係者によると、教卓上に学校や母親、友人あてに別々の封筒に入れられた七通の遺書があった。校長が家族に遺書を渡す前に急いで目を通したが、いじめを示唆する記述を見落とした。市教委は昨年十月に家族が学校を訪れて教師らの前で遺書を読み上げた際に内容を把握していたが、十一月の記者会見では公表せず、「いじめなどの事実は把握できなかった」と報告した。

 遺族が北海道新聞に明かした学校あての遺書には「五年生になって人から『キモイ』といわれてとてもつらくなりました」などの記述があった。市教委は公表を控えた理由について「遺書の内容に基づき調査したが、いじめの事実は確認できなかった。原因が特定できないので慎重になって発表しなかった。隠したわけではない」と話している。

十一月に記者会見を開いている。もうこれはアウトだ。上でも書いたが、実際にいじめがあったかどうかということはもちろん重要だけど、実際にあろうがなかろうが、そういう内容の遺書があるということが既に重大事なんだ。それを伏せるなんてのは隠したと言われても仕方がない。……と言うのが私の感覚だし、世間、少なくともマスコミにはそういう感覚があるから、こういうことになっているのだろうが……市教育委員会はそういう認識は無かったのだろうか。重大だけれどもそれをさらに上回る重大な事態が懸念されたため、ということならわかるのだが……それだって隠すということには変わりない。隠したわけではないってそれ「だから」で繋がってるのか?その前の部分がその根拠になると思ってるんだろうか?

  • 遺書の内容に基づき調査したが、いじめの事実は確認できなかった。原因が特定できないので慎重になって発表しなかった。
  • 隠した

この二つは両立すると私は思うんですけど。もっと簡潔に表せば「原因が特定できないので慎重になって隠した」だって大して意味変わんないでしょう。下らないレトリックから感じられるのは保身。でなければ国語能力の低さか。いや、私の国語能力が低いのか……? 隠したと言わずに済むのは「重要だと思わなかったから公表する必要が無いと思った。訊かれなかったから言わなかった。訊かれたら言ってた」場合ぐらいじゃないかという気がするんだけど。

そもそも慎重になってってだけで理由になると思っているんだろうか。重大な事柄を伏せるのだったら、それだけ重大な理由が必要になる。なぜ慎重になる必要があるのか、そこを説明してもらわないと。

……そう言えば、市教育委員会は自殺を防げなかったことに関しては謝罪したようだけど、隠したことについては非が有ると認めたんだろうか? 釈明しただけ? そこまで気が回ってなかったけど……。

 安西輝恭・市教委長は同年11月22日、報道関係者に対し、「手紙の中には、友だちが少なかったこと、迷惑をかけてごめんなさいという趣旨のことが書かれていた」とだけ説明し、「自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかった」と言明していた。

 ところが、遺族が本紙に提供した学校あての遺書には、「5年生になってから、『キモイ』と言われてとてもつらくなりました」「6年生になって私がチクリだったのか、差べつされるようになりました」などと書かれていた。また、6年生全般にあてた遺書でも、言葉のいじめを訴え「それはとても悲しくて、苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました」とあった。ほかの動機は一切書かれていない。

 市教委は当時の発表について、「言葉を選んで話していたのは事実。(手紙の)具体的なことについては触れないと決めていた」と、内容を把握していながら発表しなかったことを認め、「(いじめを訴えていたという)言葉だけが先行することに慎重になった」と釈明している。

これだともう隠すどころか嘘吐いちゃってることになると思うんですけど。それとも、本気で自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかったと認識したんだろうか。……そっちの方がヤバイ気がする。嘘吐く方がまだマシだ。いや、待てよ……もしかして「結びつく」の用い方が違うとか……?