志賀原発判決とrisk

参考

志賀原子力発電所2号機建設差止請求事件

社説記事に対して

読売新聞 3月25日 社説「志賀原発判決」

バッサリいっちゃってくれてますが、これが納得いかなかったので考えてみることに。

原子力に「絶対安全」を求めた問題判決と言えるだろう。あり得ない状況まで想定していては、どんな科学技術も成り立ち得ない。

もう最初の一段落から疑問がもの凄い勢いで噴出する。金沢地裁が下した判決は本当に「絶対安全」を求めた判決なのか? 想定しているのは本当にあり得ない状況なのか?

この社説の他にも報道記事を読んでみたが、私にはそうは判断できなかった。しかし同時にそうでないとも判断できなかったのだが、それはつまり、まだ判断材料が不足しており、この社説を執筆した方達は私が得たより詳細な情報を持っているという事を表しているだけかも知れない。しかし、社説文中で示された根拠だけでは納得がいかなかったのは事実だ。問題判決だとか、科学技術を否定するものだとまで言うのであればもっと詳しく根拠を示してほしいところだが……どう考えても社説の紙幅では無理だよなあ。

国が策定した「耐震設計審査指針」に基づいて設計し、許可も得た、という北陸電力の反論は採用されなかった。
耐震設計は、過去の地震に基づいて強度などを決めている。発生する可能性がない巨大地震までは想定していない。その範囲は国が決めている。そうした基本を理解していない判決ではないか。

発生する可能性がないって何を根拠におっしゃってるんでしょう? いや、根拠がないって言ってるんじゃないんですよ。根拠が書かれてないって言ってるんです。この社説文中にはね。国が決めた? それだけで根拠になると言ってるんでしょうか? 基本? そういう基本って何を指しているんでしょう? それは文中に示してあるんでしょうか? 示していないんだとすれば、理解していない判決ではないか。と言われても「理解していない判決ではないかも知れないですね」としか言いようがありません。

因みにそこで述べられているだけど、細かく言えば、「耐震設計審査指針」を定めているのは原子力安全委員会*1で、安全審査については原子力安全委員会に加え、経済産業省原子力安全・保安院*2も行っているようだ。
ここで、ひとつ注意しなければならないのが、耐震設計審査指針*3は昭和56年、つまり約25年前に定められたものだということ。そして、その指針の見直し*4が五年前に始められ現在も継続中。また、判決文中には阪神淡路大震災を契機に作られた地震調査研究推進本部*5地震調査委員会の報告が判断材料の一つとして挙げられている。

判決文から

さて、あまり裁判の内容自体には触れたくないのだが、判決文に一応さらっと目を通したので気になったところを突き合わせてみる。

不合理な想定で不安をあおる判決と社説では述べられている。不安をあおるのはそのとおりかとも思うが、不合理だということについては私の読んだ限りではそうは思えなかった。とは言え、裁判官の見解以上に合理的な見解を示されれば私の意見も変わるだろう。しかし、少なくともそれはこの社説では示されていない。控訴審でそれが見られるのかも知れない。

裁判官の判断として、「マグニチュード7.2ないし7.3を越える地震はないとみなしてもいいだろう。でも6.5を越える地震があり得ないとするのはどうか」といったことが述べられている。さらに後、松田教授*6の見解として

活断層の長さから地震の規模が予測できるのは,マグニチュード6.8から8.0の地震に限るとの前提

との記述があり、これを裁判官も受け入れているようだ。詳細は省くが、「6.8未満をあり得ないとする根拠は示されていない」という判断につながると考えていいと思う。つまり、「既に行われた審査の基準は6.5までの地震を想定しているが、6.8までの地震は起こる可能性を否定できていない」という見解。

とすると、社説執筆者の方は6.5ないし6.8の地震発生する可能性がないあり得ない状況と見なしているということでいいのでしょうか? もしそうなのであれば、裁判官の見解を不合理とするほどの根拠を是非示していただきたいところです。

因みに、地震のmagnitudeが0.3上がると、energyは約2.8倍になるんだと。うろ覚えで常用対数かと思ってたけど違ってた。

次に、平成17年宮城県沖地震女川原発において想定されていた地震動の基準S1、S2の二段階のうち、S2の方を越えてしまったことについてだが、

そうした事態に備え、強度に余裕を見込んである。

構造物に異常はなかった。

とあり、それに続いてやっと

ただ、現在の指針は20年以上前に作られた。最新の知見に合わせて、もっと安全に余裕を見込み、分かりやすいものにすべきだ、という声は多い。
例えば、現行指針で想定する直下地震マグニチュード6・5だが、もう少し大きくする。揺れの計算も精密なものにする。余裕度も具体的に数値で示す。

と、「こういう意見もある」というような形で国側の課題について言及している。自分達の見解としてではなく、どこかのだれかの見解として、である。
私は、想定する地震の基準を見直すのは必須だと思う。余裕部分/marginにはみ出す地震が起こったのなら、次に同じ地震が起こったときはみ出さないように設定しなければ、それはもう marginではないでしょう。

雑感

判決文の180頁弱のうち、地震関連のは110頁を越えたあたりからだった。それまでは、「え、そっから検証するの?」ってくらい、一から原子力発電所を否定するための要素がずらりと挙げられていた。やはりそこにはある傾向の嗜好というか思想というか、そういったものを感じずにはいられない。これは今回の事例に限った話ではないが、そういう判断を単純に不合理だとか科学的思考ができないだとか言うのはまずいだろうと思うことが時々ある。riskの評価に関しては合理/不合理もあるだろう、科学的/非科学的もあるだろう。しかし、合理的、科学的に評価されたrisk、妥当な評価だと考えられるriskを受け入れるかどうか、それは価値観の問題であり個人によって違って当り前で、どちらが正しいというものではないからである。ただ集団においては対立する要求が同時に満たされることは無いというだけのことだ。

Riskを正確に認識することと、どの程度のriskなら許容できるかは別の問題。分かっている人には当り前のことかも知れないが、これが分けられていないせいですっきりしない議論が多い。もちろん両者は簡単に切り分けられるものじゃないんだけど。原子力だとか地震に限らず、BSE感染症、喫煙、自動車、航空機、鉄道、戦争、犯罪、災害、医療、さまざまなriskがあって、どれも決して完全なzeroには出来なくて、そしてどの程度のriskなら許容できるかは人それぞれ違って……個人の問題ではなく集団の問題であれば、個々の違いの上に結論を出さなくてはいけない場面が出てくる。議論の余地がなくなってなお残る断絶など表出させない方がいい場合もあるのだろうが……私はそういう議論を望む。

しかし、ああいう内容を理解して評価して判断下すって大仕事だよなあ。