援助の正解

さらに昨日に続いて。


しかし、返済しないと外国企業からの投資がストップし、経済危機に発展するのを恐れ、多くの途上国では、医療や教育などの基本的で必要不可欠なサービス(Basic Human Needs)を削ってでも、返済へ予算を回しており、多くの人が命を失っています。

これは、ただ、お金が足りないってこと、それだけを問題にすべきだと思う。

金が必要だ。Basic Human Needsを満たすため。人命を救うため。そこに、返さなくていい金が必要なだけ集まるなら良い。しかし、当然そううまくはいかない。そのことをいくら責めてみても、金が集まらなければ意味がない。そこで借金なわけだ。借金だからこそより多くのお金が集まる。

貸し借りというのは契約なのだから、借りるとき、利率を含め諸条件を納得した上で、借りた方が良いと判断したから借りたはず。将来、返済に回すために Basic Human Needs へのサービスを削ることになっても、多くの人命を失うことになっても、借りないよりはマシだ、例えそうなっても契約は守って返済は行う、そう判断して借りたという可能性はないのだろうか? 多くの人が命を失っています。と言うが、その状態でさえも借り入れで行った改善によって少なく抑えられている状態なのだとは考えられないだろうか? もちろん、そうである、と言っているわけではなく、可能性が検討されなければ、という話。

仮にそうでなかった場合、つまり契約時に想定した以上に状況が悪化したのなら、それは借り手の判断や見通しが甘かったということ。もちろんその場合、債務免除は当然選択肢に入っておかしくはない。個人の自己破産が認められるのと同じ。しかし、その場合でも調査が必要とされる。最初から債務免除を当てにしたり、自己破産をするつもりで借金をするということがあってはならないからだ。それは詐欺である。もちろん、そうでなくても、債務が容易に免除されるようになれば、おっしゃるとおり、借金でさえも集まらなくなってしまう。

貸し付けを問題視している空気が引用部の前後含めて行間から感じられるのだが、貸し付けそのものは悪くない。何度も言うが、ある額を貸し付けをするということと、同額を無償で贈与するというのは同じじゃない。貸せるだけの金があるのなら、それをただであげてもいいじゃない。それは他人の金だから言えること。政府を他者として扱う人の陥りやすい罠だと思います。

貸し付けであるかどうかの違いは自分の身に置き換えて考えてみると良くわかるかも。

あなたの年収を仮に 300万、現在の貯金を 500万とする。貧しい人々の Basic Human Needsを満たすための設備など初期投資に 3000万、維持するために年に 2000万必要だとしよう。話を単純にするため、ここではあなた以外の援助者はいない。さて、どうします? 年に200万を贈与するのと 100万を贈与、100万を貸し付けで出すのはあなたにとって同じことですか? 緊急で 500万いる、と言われたらどうします? 無償で出しますか? 来年も維持費は 2000万です。来年はどうするかも計算しなければいけないでしょう。さらにその先も。どうします?

配分の問題もあります。相手は一国ではありません。融資なら、他の国より少しマシになった国から返してもらい、その分をもっと状況の悪い国にまわすということもできる。同じ額でもうまく使って自立に近づく国もあれば、砂に流した水のように跡しか残らない国もある。地震津波、疫などの天災が起きたとき、幾ら出します? いや、幾ら出せます? 手許に幾ら残ってますか? 無償で出しますか? 次に起こったときは幾ら手許にありますか?

自己投資して年収を増やすという方向はどうでしょう? このことが利率に関わって来ます。自分に投資しても年収を増やせないのであれば利率は0でしょう。書籍を買って勉強すれば来年は年収が 320万になる見込みがあるとしたらどうします? 来年 20万多く援助にまわせるのです。学校に通って資格をとれば、五年後に年収 500万になるとすればどうします? 当然それらを選ぶなら今年の援助額は少なくなるでしょう。援助額を幾ら減らすことで、幾らの援助額増加が見込めるのか。

難しい問題です。ただひとつの正解などありません。

政府だって、返済された分を自分のために使ってるわけじゃないでしょう。返済された分はまた必要なところへ貸してるんじゃないんでしょうか?*1 それがたまたま同じ国なら、返さなくていいよ、という選択肢も考えられる。しかし、将来他の国へ貸せるという選択肢を減らさない状態を保つには、返済分をもう一度、同じ国へ貸し付けるのも当然の選択肢。

それはつまり、どこがお金をより必要としているか、という問題。そして、そのときにお金を動かせるのか、という問題。お金が足りてないのは最初からわかっていることなのです。お金が足りずに人命が失われるのもわかっているのです。しかし、その状況のなかで最もマシな使い方を選ぶことを考えるなら、容易に債権を放棄することはできないんです。

専門家は、一般の人に判りやすく伝えることも必要だけれど、難しい問題なのだということを自分が忘れてはいけない。そして、本当に現実に変化をもたらしたいのなら、専門家を軽視してはいけないし、自ら専門家になろうとする姿勢も疎かにしてはいけない。NGOには、関心を持った一般人の受け入れ場所であると同時に、専門家たらんとする気慨を持ってほしいものです。

*1:推測で言うんじゃなく、私も調べてみるべきなのだが。http://d.hatena.ne.jp/schillasal/20050822/Dairas も参考に。